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私にやさしく生きるための処方箋エッセイ

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世界は美しく楽しいところだった

今日は夕方から表参道へ。

友人との待ち合わせまでに時間があったから

原宿から表参道の道を一人でお散歩。

原宿に降りて・・・・

目を奪われてしまいました。

クリスマスイルミネーションの美しさに。

 

実は、この時期の表参道へ向かう道を歩くのは初めて。

こんなに綺麗なものだったとは。

もう何度も見ている人にとっては

いつもの年の見慣れた煌めき、なのかもしれないけれど

 

初めてみるわたしにとっては、別世界の煌めきで。

わぁぁぁぁ・・・・・・・

と言いたいけど、一人なので言えないのを口を開けてひっそりを空気で出しつつw

あたたかな光の粒が煌めく木々を見上げながら

ゆっくりゆっくり歩いていたら

なぜか胸がキュンとして泣きそうになってしまって。

気づいてしまったのである。

わたしはこういう世界を知らなかったなぁ、と。

まじめかよ。

うん、真面目過ぎたなぁ。

いつかの遠い昔の10代20代の頃のわたしは

決して不幸だったわけではない

大変なこともあったけれど、その中で与えられる日々を生きていたし

楽しいことも嬉しいことも、あった

けど

その世界には、いつもどこか寂しさや悲しさ

自分に課せられただろう運命に絶望している薄グレーのヴェールが

いつもわたしの世界を、覆っていたように思う。

もちろん自分では気づいていない。

なぜなら「それが当たり前」だったから。

家族関係の悪化したあの空気がもう当たり前になり過ぎていたのだ。

それはまるで

肩こりがひどい人は痛みを麻痺させてしまって

もはや感じないというのと似ているのかもしれない。

痛みやこりを自覚はしない。でも強烈なコリはちゃんとある。

まさにそれと同じ状態だったのよね。きっと。

生きてたし、楽しんでた、けど・・・本当は楽しめてなかった。

今日、表参道を歩く人たちの

楽しそうな様子や、にぎやかで浮き足立つ街の雰囲気を感じた時に

それが、急にありありと感じられたのですよ。

恋をすることも

誰かと時を重ねることも

そういう日々の楽しみと喜びを

ただただ、楽しんで喜びきることを

してなかったし

何かを欲しがることにさえ

うっすらとした罪悪感と

本当に欲しいもの(家族の幸せ)が得られないことへの悲しみが覆い被さって

ただ欲しいものを欲しいとそのままに感じることが、難しかった。

わたしにとっては、それが無意識の当たり前だったけど

世界はそうじゃなかったんだ、ってなんか気づいたのです。

世界って、すごくキラキラしてて煌めいてて

楽しいところなんだな

この年にして、そんなことを思ったのです。

何かを果たすことばかりを頑張ってきてたけど。

それを手放してきていたけれど。

世界は、純粋に楽しくて美しい。

だから楽しめばいいだけ。

何かを欲しがり得ることも

誰かに恋をする喜びも

ぜんぶ、ただ楽しめばいいだけ。

時を共にして嬉しさも喜びも楽しみも一緒に味わうこと、

それをただただ、楽しむ。

来年はそんなシンプルなことを自分に叶えさせてあげたい。

そんなことを思った、年末の表参道、でした。

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